にっぽんの旅 近畿 和歌山 加太

[旅の日記]

人形を祀る淡嶋神社の加太 

 和歌山市駅にやって来ました。
大阪のなんばから1時間で行ける快適な旅です。
特急でも特急料金は不要で、車両を変えると指定席料金も不要です。

 今日はここから加太に向けて、南海電鉄加太線に乗換えます。
「めでたいでんしゃ」の愛称を持つ加太線は、その名の通り鯛がペイントされており、否が応でも期待が増します。
往路で乗ったのはピンクの列車です。
座席も鯛の模様が入っています。
面白いことに、つり革も魚の形をしています。
楽しみながら過ごしていると、30分余りで終点の加田駅に到着します。

 加太駅は、田舎の静かな駅です。
ここから町の中を通り抜けていきます。
ということで最初に目に入ったのが、風呂屋の煙突です。
近づいてみると、「新町銭湯」と書かれています。
今や都会ではなかなか見ることのできない銭湯が、ここにはあります。

 さらに歩いて行くと、「旧加太警察署」があります。
中村邸として、今も使われている建物です。
白い板張りの木造2階建、瓦葺の洋館です。
当時の加太は大阪湾を守る重要な要塞地域で、自由に出入りすることができませんでした。
いま保存されているのは本館ですが、それ以外にも取調室など小さな警察署でありながら必要なものが詰め込まれていました。

 これまで歩いてきた駅前通りは、ここから大きく右にカーブします。
曲がらずに直進すると、そこには町を貫く細い通りになります。
そこを入ってみましょう。

 左手には神社があります。
「加太春日神社」です。
神武天皇の東征のころ、天道根命が~寳二種を奉じて加太浦に上陸し、祠を造営して天照大御神を祀ったことに始まります。
その後、海に面し漁業が盛んなことから、航海安全と大漁を祈願する住吉神社を合祀しています。
絵馬にも特徴があります。
丸い形の絵馬には鯛をが描かれています。

 しばらく進むと、海に出ます。
ここから海沿いを北に進むと、「加太海水浴場」があります。
白いサラサラの砂が気持ちよいです。
加太から和歌山市までは砂浜が広がっていましたが、今となってはここが和歌山市内で唯一の砂浜となってしまいました。
夏場になると、海水浴客で賑わうところです。

 海岸からの道沿いには、洗濯ばさみに挟まれてワカメが干されています。
黒い棒のように乾いたワカメが、強い海風で揺られています。
のどかで心が洗われる風景です。

 その南には加太港もあります。
無人島でかつての軍事要塞であった友ヶ島行きの船も、ここから出ています。
加太はマダイの水揚げでも有名で、メバル、カサゴなども釣れます。
道の向かいには温泉旅館もあり、ここでは新鮮な魚を食べることができます。

 ここから数km北側の多奈川小島漁港で撮った写真もありますので、載せておきます。
今年の正月のことです。
小さな漁港なのですが、正月だけあって今年の大漁を願う大漁旗が漁船に掲げられていました。
日本らしい正月の風景で、思わずシャッタを切ったのでした。

 加太港にはもうひとつ興味のあるものがあります。
岸壁の堤防を利用し、絵が描かれています。
海の生物が鮮やかな色を使って表現されています。
「加太大壁画」と呼ぶだけに、堤防に沿って110mにも及ぶ大作です。

 そして道を挟んであるのが、本日のお目当ての「加太淡嶋神社」です。
境内のいたるところに供養された人形が並んでします。
雛人形をはじめ、狸の置物、おもちゃの人形、招き猫など、あらゆるものに出会うことができます。
これらは3月に行われる雛流しで、船で沖合に出てそこから海上に流されるのです。

 「加太淡嶋神社」には、こんな話が伝わっています。
三韓出兵からお帰りの神功皇后が、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めよ」
そこで辿りついたのが友ヶ島です。
その島に少彦名命と大己貴命が祭られ、助かった感謝の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
その後、神功皇后の孫にあたらる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、島に社があることの不便を察して、対岸の加太に移して建てた社殿が「加太淡嶋神社」なのです。

 それではここで食事です。
鯛の丼を探しますが、想像していたものが見つかりません。
代わりに注文したのは、しらす丼です。
だしとともに出されましたが、そのままでも塩気が利いて美味しいものです。
あっという間に、完食してしまったのでした。

 さて「加太淡嶋神社」の鳥居の前から、山側に続く道に入ります。
この道を進む人はいません。
のどかな加太とは一味違った場所に、これから訪れてみます。
舗装はされていますが、次第に人里から離れ寂しくなってきました。
おまけに結構な上り坂で、ますます不安になってきます。

 しばらく進んだところに小さな小屋が見えます。
「旧加太砲台 厠」です。
東京湾、対馬、下関に続き4つ目の要塞として造られた大日本帝国陸軍の海上要塞です。
ここ「加太要塞」は大阪湾の防衛のため、湾の入り口である紀淡海峡と鳴門海峡に構えられました。
紀淡海峡には淡路島の由良地区、ここ加太を含む加太・深山地区、そしてその真ん中に位置する友ヶ島地区に砲台が置かれたのです。
1889年に起工し、日露戦争開戦直前の1904年に一通りの施設が竣工しました。
そしてここは厠の文字で分かるように、そのための便所がこの建物です。
厠の横には「旧加太砲台 弾廠」もあります。

 この先は「和歌山市立青少年国際交流センター」になっています。
砲台はセンターの敷地中にあります。
門を入り記帳すると、そこにはセンター内の散策マップが置かれています。。
国際交流センターの綺麗な建物を抜けた炊飯場の先に、山に上がる道があります。
キャンプ場に行くのも、この道を登っていきます。
ここまでもかなり急な坂を登って来たのですが、この先もさらに坂を登っていきます。
しかも未舗装の道です。

 途中に「見晴らしの丘」があります。
芝で覆われた開けた丘で、紀淡海峡が見える場所です。
目の前に友ヶ島、そしてすぐ右に地ノ島、友ヶ島の奥には淡路島が霞んで見えます。
これだけ見晴らしの良い場所だっただけに、砲台の設置場所として選ばれたのでしょう。

 さらに進みます。
「家族の広場」という遊具が並んだ公園に、「田倉崎砲台」はあります。
今は平和な公園なのですが、その周りの海からは岩壁で見えない隠れた場所に砲台跡が並び、堡塁の建物も残っています。
砲台そのものは残っていませんが、それを設置していた丸い跡が地面にポカンと空いています。
軍国主義に進んだ恐ろしい当時の日本を見ることができます。
平和ボケしている自分に気づかされ、その後山を下りたのでした。

 さて再び加太の町に戻ります。
ここからは駅に向かって帰ります。
その途中にあったのが「役行者堂」です。
役行者という呪術者が、修行を積むための場所です。
117段の石段を登ったところにお堂があります。
先ほどの「加太要塞」に較べれば簡単に登れる所なのですが、これまでの疲れで足は重くガクガクです。
気力だけで上り詰めたのでした。

 再び町の中を歩きます。
堤川の近くに、煉瓦造りの倉庫が残っています。
旧丸治醤油の蔵の跡です。

 さて朝通った「加太春日神社」の前までやって来ました。
この近くに美味しい揚げパンの店があるのです。
運よく、その店は開いていました。
早速あんこのパンを買い、揚げたての熱々を歩きながら食べて帰ったのでした。

 加太駅に着いた時に、ちょうど電車が入ってきました。
帰りは黒色の「めでたいでんしゃ」です。
「かしら」という愛称がついています。
車内は遊び心いっぱいで、ドアから忍び入った足跡が残っています。
こうして魚と雛人形、そして戦争の爪痕が残る加太を感じた1日だったのです。

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